絵を描くという呪い
久しぶりにはてなブログにやってきたので、はい。はい。とローストされた肉の写真を大量に載せたブログを書くつもりだった。
でも冷蔵庫には腐った鶏肉しか入ってない。
貧乏は敵だ。
まとめ
・「絵を描くのをやめてみたら幻想が解けた話 」に触発された懺悔。
大体承認欲求の話。
先日こんな文章を読んだ。
絵を描くのをやめてみたら幻想が解けた話 - はてな匿名ダイアリー http://anond.hatelabo.jp/20141201164139
絵は、紙とペンさえあればかける。
なんならどっちもいらない。
息を吹きかけて白くくすんだガラスの窓に指を当てて、思うがままに動かせばいい。
私はそんな、幼稚で、稚拙で、ストレートな表現方法に、自分の理想を重ねて10年以上絵を描き続けてきた。
山積みの雑務に忙殺されてやる気をなくしたりとか、口汚く新しい手法を馬鹿にする裏で必死にそれを勉強してみたりとか、大量に同人誌の在庫抱えてみたりとか、人並みのあれこれを経験してきたつもりでいる(けど、それは驕りかもしれない)。
この増田を書いた人の過去や現況を知るすべはないけれど、「ずっと自分は絵を描き続けていなければダメになるタイプの人間なのだ」と私も思っていた。
そう思っていたかったのだと思う。
絵を描ける人間としての自分はそれなりに必要としてくれる人がいたし、「絵を描かないとダメだ」と常にプレッシャーを与えていれば、その間は、人よりひどく劣った部分(コミュニケ―ション能力とか)から逃れられる。
そして、絵を描けなくなれば全ての人から見捨てられるような思い込みに囚われていた。
なんて過大な自己評価!
そんな評価をもらえるほど絵が上手いはずもなく、私のそばにいてくれる人たちの心がそんなに狭いはずもなく。
馬鹿馬鹿しく、しかしとても強い思い込みは、環境が変わるにしたがって少しずつ溶けていった。目に見えるほどに小さくなってやっと「思い込んでいたこと」を認識できるようになって、自分の力で思い込みをコントロール出来るようになった。
金銭に交換可能な技能を求められるほどの人間ではないこと。
だから、今の交友関係は大切にしていきたいこと。
そして、別の軸の話として「金銭に交換可能な技能をもった人間」と認識してもらえることは生存を助けると思うので、今度は自分であるためになんて立派なお題目じゃなく、生活のためにやっていくかな…というところ。
ホームレスの可能性がすぐそばで口を開けていて、すわ夜逃げかという生活はこの先何年も続けたくないし、一か月の仕事のうち何時間かは、酒を飲んだり音楽を聴きながらしたいよねえという話だった。