隣で一緒に歩いているような、不思議な本ーさいはて紀行/金原みわ

インターネットやパソコンが普及して、情報発信の敷居が下がって、「その人のありかた」に触れる敷居もめちゃくちゃ下がった。本当に多様で、選択肢がありすぎて、結構ドキドキする。

金原みわさんは、その「ありかた」で人との距離をリアルタイムに変えていくような方だ。 もちろん、お会いしたこともないのだから、勝手な想像だけれど。

珍スポットに対して、最初は怖々だったり興味本位だったりから始まるのに、その距離を感じさせることなく気負った風など見せずにいつの間にか隣で一緒に楽しんでいる。そんな風景が文章を読んでいて想像できるし、その言葉で対象だけでなく、読者とも距離を縮めていく。
なんだか一緒に珍スポットを旅しているみたいで、距離感がわからなくなる。

罪のさいはての中で、とても印象に残るフレーズがあった。

“もしかしたら、私がハサミを使う側だったのかもしれない。そんなことを思った。”

刑務所の美容院で髪を切られながらそう考える、そのことが、みわさんの書かれる文章の温度感を作っているのかもしれないと思った。
珍スポットは檻の向こうの動物やステージのショーみたいな、僕らと全く異なる世界ではなくて、いつもは通り過ぎる道を曲がってみた先にある風景のような、些細なきっかけで触れ合う地続きの世界なんだと感じさせてくれる。

気取らずに無邪気に、でも、とても丁寧に、話しながら歩くみたいな速度で、さいはてに向かってゆく。ゆっくりと紡がれるような文章に、大慌てで組み上げる書評は似つかわしくないのかもしれない。
ふらっと散歩に出るような感覚でまた何度でも読み返したい。