ちょっと前のこと
まとめ
・小学校から高校までの自分語り。
・絵も画材も捨てられたけど描き続けてた話。
・でもこういうのって受注には結びつかないよね。
小学校の頃、実家にはかなり早くからパソコンがあった。
インターネットはつながっていて、2ちゃんねるのフラッシュ板や、
イラスト創作ランキングに入り浸っていた。
流石兄弟やギコしぃ…もちろん誰にも通じなかった。
創作サイトに影響されてイラストを描き始めて、教室で一人でいることが増えて…
つまるところぼっちを拗らせていった。
そのまま近所の中学校に進学しても、生活は変わらなかった。
「キモチワルイ」「なんか変わってるよねー」は聞き飽きた。
家でもずっと描いてたから、目に見えて成績が下がった。
怒った母は絵をひったくってゴミ箱へ。
お小遣いで買い集めたネオピコ(コピックの廉価版)は家の中のどこかへ。
仕方ないから、学校で買った水彩と100均で買った色鉛筆で描き続けた。
父が誕生日にペンタブをくれてからは、家族が寝静まるのを待ってPCで絵を描いた。(当時は共用PCしかなかったんだよね)
中学卒業後は家にいたくなくて、1時間以上かかる高校に進学した。
そこには絵を見せ合う友人も、文化祭ポスターを褒めてくれるクラスメイトもいた。
この時初めて、「絵を仕事にしたいな」と思った。
皆がほめてくれるから、錯覚していたのかもしれない。
インターネットには僕より絵が上手い人で溢れていたけど、
きっと僕の絵を好きになってくれる人がいる!そう信じてサイトにアップし続けた。
文化祭では有志で手書きアニメを作ったり、3メートル以上あるキャラを作ったり…
とても幸せだった。
受験が近づいて、美大に行きたいと話に母したけど、
あんたが入れるわけない!と一蹴された。母は父に一切相談しなかったらしく
某私大法学部の入学の手続きの一切を済ませたあと、父に
「美大、行きたかったんだ。言ってくれれば幾らでも応援してあげたのに」
そう言われて、涙もでなかった。
”めのまえが まっくらになった”ってこういうことか。
そうか、僕は絵を仕事にしちゃいけないんだ。
踏みにじられて茶色に変色した桜を見ながら、校舎を後にした。