休職するまでってこんな感じ
まとめ
・営業事務の仕事が合わなかった。
・心療内科に行ってみた。
・休職願いを出した。
初めてで、はてなの使い方がわからない。
名前を出すのは、良くも悪くも、自分に帰責させたいから。
そして、忘れないように思ったことを記録しておきたいから、はてなを始めた。
…なんて能書きは置いておいて現状を話そう。
僕は東証一部上場メーカーの事務員だった。
長期の研修を終えて、配属一年目。仕事は営業事務。
支店と、それから自社及び他社工場の間を取り持つパイプ役だった。
残業体質の支店と、定時で帰りたがる工場の間で、半べそかきながら納期や価格を調整する仕事だ。
毎朝の朝礼で「コストしか生まない部署」と発破をかけられ、”いらない人間だから、ここに配属されたんだ”という考えが日々強くなっていった。
部署に関していい話は聞かなくて、僕が休職してから、部のトップだった役員が更迭されたと聞いた。遠くない内に部署ごと無くなるだろうと専らの噂だった。
理由は省く(もしかしたら、後で書くかもしれない)けど、僕はその配属半年で休職した。
OJTが落ち着いて、自分の担当を持った直後だ。
仕事が終わらず昼休みも取れず、残った10分で会社のトイレの床で号泣しながら転げ回る日が続いた。
”これはやばいかも”と思って会社の近くの心療内科に駆け込んだ。
どちらも統合失調症をメインに処方される薬だ。
結論から言うと、どっちも効かなかった。
PCでメールを打ちながら、発注入力しながら、涙が止まらず電話も涙声で、仲良くしてくれていた担当者の方にも心配された。心配してもらうなんて部署ではあり得なくて、その優しさで余計泣いた。
初診から一か月後、上長に某ファミレスで、時間をとってもらって、休むための了解をもらった。
入力する文字が霞んで見えたし、電話も半分くらいしか聞こえなかった。
もちろんメールは何回も読み返さないと、意図がつかめなかった。
先輩との会話なんて、外国語に聞こえた。
「ごめんなさい、もう、無理です」
その一言が出せるまでに、時間がかかった。
就活もこの会社しか通らなくて、そこで休職するなんて、人として失格だと感じた。
「無理しなくていいから。僕も同じで二年目に営業から異動したんだ。」
上長はそう言って休みの許可をくれた。
3日ほど業務の引継ぎをして、僕はちょっと長い夏休みを手に入れた。